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『不滅』 [観劇]

鵺的第二回公演『不滅』@下北沢「劇」小劇場
2010年6月27日17時開演

作・演出:高木登

出演:
美川勝……荒井靖雄
美川京……板倉美穂
橋本美紀……菊池未来
仲西壮介……実近順次
里見健一……浜野隆之(下井草演劇研究舎)
向井蔵人……平山寛人(鵺的)


前日にチケット予約。
千秋楽を観てきました。


17歳の少年が起こしたバスジャック事件。
その17年後。
とあるリゾートホテル。

そこにたまたま集まった6人の宿泊客。

それぞれが抱える闇と狂気、理性と本能。
人間らしさとは何だろう。
何がまともで、何が狂ってるんだろう。


観終わった後、しばらくして気がついた。
手が震えてた。
それだけ集中して観てた。

“あっち”と“こっち”の境目。
その境界線上に立っていた6人。
その境目には、きっとちょっとしたことで立ててしまえる。
被害者が加害者になるのも、またその逆もありうる。
そして、ほんの一歩で、どちらにでも転がってしまえるんだと思う。

一見、普通に見える人も、心の中には何かしらの狂気を抱えてる。
どこか狂ってるんだろうと思う。
私も、隣のあの人も、あの人も、あの人も。
それを表に出してしまうか、心の中にしまっておくか。
それが“普通の人(市民)”と“犯罪者”の違いなのかもしれない。
その違い、一歩を踏み出してしまうきっかけは些細なことなのかも。
そして人はそのどちらにもなれてしまうのだろう。

自分の中に潜む“狂気”が具現化してしまうのはなぜだろう。
人が“一線”を越えてしまうきっかけって何だろう。

解釈の仕方一つで、異なる答えが見える。
その人の価値観で、一つの事柄がまったく別のものになる。
私には“丸”に見えているものも、他の人から見たら“三角”なのかもしれない。
切り口が変われば、見方も変わる。
同じものを見ていても、同じものが見えるとは限らない。
それに、気付かないことも多い。

快楽のために人を殺すことと、誰かを何かを守るために人を殺すこと。
動機は異なっても、結果は同じ。
その違いを、その差を、論じることは価値のあることなのか。

普通だと思っていた、普通に見えていた“誰か”。
果たして本当に“普通”なんだろうか。
そして、そう思ってる“自分”は“普通”なんだろうか。

“あっち”と“こっち”の境目はどこだろう。
私はどこに立ってるんだろう。
そもそも“境目”なんてあるんだろうか。

この芝居を観ながら。
不快感を持ちながら、共感する部分もある。
そのどちらも自分だし、そのどちらも真実。
きっと観た人は似たような感覚を持つんじゃなかろうか。

人はいくつもの自分を持ってる。
そのいくつもの自分の中で、表に出てくる部分が、その人の表の人格なんだろう。
でも、表に出て来ないすべてが自分。
ただ理性や道徳といったものが、表に出てくる人格をコントロールしてる。
それらに照らし合わせながら、表に出すには相応しくない部分を抑え込んでる。

ただ、その理性や道徳といったものは、外からの影響を受けやすい。
出逢った人、そのとき置かれた環境などの外部要因に影響を受ける。

芝居を観ながら、観ている最中に、ここまで色々と考えたり感じたり悩んだり。
そういう芝居を観たのは久しぶりだったな。
頭と心をたくさん使いながら観た。

観後感のいい芝居じゃない。
でも、おもしろかった。
考えさせられた。


鵺的 公式サイト http://www.nueteki.org/
次回公演は来年の7月だそうです。
タグ:観劇
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