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『モロトフカクテル』 [キャラメル役者客演]

モロトフカクテル
タカハ劇団第5回公演『モロトフカクテル』@座・高円寺
2009年10月16日19時半開演 B列20番


作・演出:高羽彩

出演:
吉田ダイジロウ……有馬自由(劇団扉座)
佐藤ノブオ……恩田隆一(ONEOR8)
前川タクヤ……畑中智行(演劇集団キャラメルボックス)
田口リョウスケ……山口森広
牛島ミドリ……広澤草
佐古キヨテル……西地修哉(726)
板垣ワキオ……酒巻誉洋(elePHANTMoon)
宮越フミオ……小沢道成(虚構の劇団)
原田ミズホ……こいけけいこ(リュカ.)
内沢アカネ……奥田ワレタ(クロムモリブデン)
ミチオ……浦井大輔(コマツ企画)
ぬりえ……石川ユリコ(拙者ムニエル)

弱体化した大学自治会は、同じ部室棟で活動する演劇研究会や手話サークルと
ともに、地下部室で細々と活動を続けていた。
突然大学側から告知された「部室取り上げ通告」に反抗する学生たちと、
それを力でねじ伏せようとする大学の職員たち。
そんな中、その様子を静かに見つめる、中年の大学職員の姿があった。
彼の脳裏に去来する、熱い時代の思い出と、その渦中で闘う一組の恋人たち。
冬の最中のあの一連の出来事を、事件を、あの時代を、
わたしたちはなつかしむことはできない。


去年あたりから。
全共闘に関する芝居や本に触れる機会が何度か。
そのたびに思う、感じること。

“羨望”と“嫌悪”。

何かに対する激しい怒り。
直接的な行動を駆り立てるほどの衝動的な感情。
本音で議論をぶつけ合い、時には殴り合い。
それをごく当然にやっていた時代。
その強烈なエネルギー。
今の時代にはそぐわない、存在しない、私にはない、その“力”に対する“羨望”。

そして。
暴力という手段に傾倒していく一部の人間たち。
自己批判と総括という名の私刑。
敵対する人間(体制)を暴力に訴え改革を試みるという姿勢。
時には仲間をも殺害してしまう。
反体制の“大義名分”のもと、“人の命”が軽んじられる時代。
身近な人を守れない正義は、受け入れられない。
大義名分と言う名のマシンガンを手当たり次第にぶっぱなしてたように見える。
感情的な拒絶感、拒否反応、嫌悪感がある。

それはきっと、私が、今を生きてるからなんだよね。
“今”の価値観で見ているからなんだよね。
その時代に生きていたら、自分がどんな行動を取っていたのかまったく想像できない。
私も大義名分を言い訳に、身近な誰かを傷つけてたかもしれない。

学生みんなが、闘わなきゃいけない、と思わされるような時代の渦があったんだろうな。
今の時代にはそんなパワーはないよね。
それが幸せなのか不幸なのか。

おそらく。
私のこの時代に対する絶対的な知識不足。
それが“受け入れられない”原因の一つにもなってるとは思う。

そのせいで消化不良起こすんだよね、この手の作品って。
やっぱり、というか。
連勤最終日に観るような芝居じゃなかったな。
なんか疲れたわ(苦笑)

でも、高羽さんはこの脚本を23歳?22歳?で書いたのかな。
それもすごいなぁ。
この作品、その世代の人(団塊の世代)の感想を聞いてみたい。
以前観た、この手の芝居も年齢層高くて、感想聞きたいなぁって思ったっけ。


恩田さんの怪演(笑)はお見事。
何しろ怪しいし、キモイし、絶対に近寄りたくない危ない変な人(笑)
でもね、最後去り際、あの変化はすごかった。
まとってる空気が完全に違った。
腹括って、何かにすべてをかけてる人間の肝の据わった感じ。
その迫力があった。

畑中くん。
んー、いまいち。
恩田さん演じる佐藤と対立する組織の活動員って設定。
でも恩田さんに完全に押されてるね。
冷たさと、人を食った感じは出てたけど。
いまだに活動続けてる人間には見えない。
恩田さんと比べると迫力が絶対的に足りない。
まぁ、キャラメルでは観られないような役どころ、演技ではあったけどね。
ちょっと期待外れかなぁ。

有馬さんはやっぱりしなやかだなぁ。
存在感はもちろん、ちょっとした空気の変化がいいんだよね。
声と態度、台詞だけで40年近い年齢差を表現する。
それがわざとらしくない。
ただ、59歳を演じてるときに感情が高ぶると、声が若返っちゃうみたいだ。
淡々としゃべってるときは59歳で、何の違和感もない。
最後、ミチオとぬりえのその後を知って、暴走する感情。
それまでの落ち着いた淡々とした態度からそこにかけての感情の盛り上がり、爆発。
ぞくっとした。


劇場について。
座・高円寺。
新しい劇場ってことで、それも楽しみだったけど、さすがは公立。
あの椅子の悪さはなに?
ひどすぎて笑っちゃう。
導入前に、二時間座ってみればいいのにね。

スピーカーの音割れがひどかったなぁ。
演出だろうって部分もあったけど、疑問に思う部分も多々。

ステージが最前列より高い上に、セットに高さがあるから、前方は見えにくいね。
しかも横幅がありすぎて、全体を見るなら後方しか無理なんじゃないかな。
劇場自体はシアタートラムみたいな感じなんだけど。

ステージが広すぎて、スペースをちゃんと使いきってない。
上手が丸々デッドスペース。
何か使われるのかと思ったら、ただ空間があるだけだった。
このサイズでやる芝居じゃないんじゃないのかな。

しかし、タカハ劇団はやっぱり暗転多いなぁ。
しかもまた長いんだ。
今回はセットに段差があるから移動に手間取るみたいで、なおさら暗転長くて気になった。
暗転の使い方って難しいよね。


ちなみに「モロトフカクテル」とは「火炎瓶」のことだそうです。


タカハ劇団第5回公演『モロトフカクテル』
2009年10月15日(木)~10月18日(日)
会場:座・高円寺1
チケット前売り当日とも3300円/学生割引2500円他
タグ:観劇
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コメント 2

くまきち

ぷりんさんが『モロトフカクテル』を観たときに感じる“時代的な違和感”みたいなものは私もわかるんです。あの手の芝居の底流にあるのは、学生運動とか安保闘争とかそういうのだと思うんですけど、46歳の自分にしたって1970年に小学1年生なんだから、私はもちろん私より若い人が実感できなくったって当然なんです。

でも、私は法律学と歴史学を通じて当時の社会状況を少し理解できました。それは最高裁判所の判例を読んだときに感じた「あれっ?」という感覚がはじまりです。

裁判官というものは、憲法と法律だけに従って判決を下すのが法的な使命で、そうしなければ法律違反なので判決というものはお役所仕事と言われがちなくらい理路整然としています。裁判官の人間性は出てきません。でも、安保闘争の時期の最高裁判決だけは、正直言ってとち狂ったような不思議なものが混じってるんです。

そりゃあそうだろうな、と思います。今でも地下鉄の永田町駅の1番出口の階段を上って見渡せばわかりますが、右手にすぐ国会議事堂が見えて左の坂をちょっと下ったところに最高裁判所があります。東池袋駅とサンシャイン劇場の間よりちょっと遠いくらいの近さでしょうか。そんな近いところで、デモ隊と機動隊が殴り合い火炎瓶が飛び交っているんです。

当時の関係者に言わせれば、「今にも革命が起きそうな雰囲気」だったそうです。デモ隊からは「今にも革命が起こせる」だったかもしれませんが、最高裁の判事たちにとっては「今にも革命が起きて殺されるかもしれない」という気分だったのでしょう。
そんな状況で下す判決が冷静でいられるはずはないんです。これを基準に判決を下される今の人間からすればたまったものじゃないですけどね。
by くまきち (2009-10-18 18:17) 

ぽぽぷりん

くまきちさん
コメントありがとうございます。
そういう時代背景や様々な知識を得ることで、わずかながら理解できる部分が増えていくんですね。
でも、やはり現代に生きてる私たちには“完全な理解”はできないんでしょう。
広澤さん演じるミドリが“父が体験したことを追体験したい”というのも実際には不可能なのかも、やはりあの時代と今は違う。
でもその“違い”があの時代は、様々な部分に影響を与えてたんですね。

永田町の1番出口。
利用することがあったら、想像してみたいなと思います。
by ぽぽぷりん (2009-10-18 18:33) 

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